奈良磐雄の日記・NEW

今日一日何を食べて何をしたか

宮城県岩沼市を慰問・視察

午前5時起床、予約しておいたMKリムジンで伊丹空港へ。ANA731便で仙台へ。仙台空港には岩沼RCの渡辺真多幹事と遠藤清貴パスト会長がお出迎え。車で復興支援品を贈呈する玉裏中学校へ。校長先生から3月11日の地震発生時点から復興の歩みの概要説明を聞く。この中学の生徒は2名が被災し亡くなった。11時40分から全校生150人が体育館に集合した中で、私は持参した姉タイの姉妹クラブのケンクーンRCと京都北東RCのメッセージを披露、電子黒板2台とPC3台及び周辺機器の目録を生徒代表にさせていただき、校長先生から感謝状をいただいた。贈呈式を終えて岩沼RCの例会に出席させていただき昼食を共にした。
午後からはANA738便の搭乗手続きギリギリまで地震被害の大きかった家屋と津波被害の大きい海岸地域を車で案内していただいた。

仙台空港への迎えから出発まで一日中お付き合いしてくださったお二人。

岩沼市立玉浦中学校の横橋健校長先生がお贈りした電子黒板とPCセットの説明を。

体育館で全校生徒が集合し贈呈式の後、タイと京都のRCの復興支援事業にちなんでタイの民族舞踏が京都精華大卒業生により披露された。

昼食は岩沼RC例会で「うな重定食」を皆さんと一緒にいただいた。

海岸近くの「みなみはま病院」は津波により孤立し、全員が屋上に避難してSOSの文字を書いて救助を待っている状況がニュースで何回も放送された。復興はほとんど進んでいない。

種類別に分別されたがれき。

岩沼市にはがれき一次集積所が10カ所あり、そこから先は進んでいないとの事。地元の人々ががれき処理に携わると1日12,000円の日当が支給されるとのこと。ぜんぜん追いついていない状況。

本当に厳しい現地のほんの一部を見せていただいての帰路の空は、何事も無かったように澄んでいた。


お家に帰っての晩ごはんは「ゆでイカ+酢味噌」「冬瓜ミンチ炊き」「冷や奴」をいただいた。

家のリビングダイニングのエアコンのドレイン故障で水がボタ漏れ。昨年の夏にも同じ状態になり緊急修理してもらった。明日、緊急修理の要請をしなければ。